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諦めなければ、
絶対に叶うと
私は知っているから。

又吉 薫

2021年中途入社 /
新卒リクルーティングDXグループ

KAORU MATAYOSHI

経歴

  • 2007

    佐賀女子高校卒業
    本田技研工業株式会社 
    ソフトボール実業団選手として入社

  • 2013

    Honda Reverta主将就任

  • 2015

    ソフトボール日本代表初選出

  • 2016

    世界選手権大会(Women's Softball World Championship)準優勝

  • 2017

    ソフトボール引退

  • 2018

    本田技研工業株式会社
    青山本社へ異動

  • 2020

    人事領域チーフへ昇格

  • 2021

    株式会社あつまるに入社

入社理由

小学生のときに母に連れられ観戦したソフトボール実業団の試合を見に行ったあの日から、私も実業団に入団し日本代表として活躍するというビジョンを掲げるようになりました。四六時中ソフトボールに熱中し、ビジョンを追いかけてきました。その結果、努力の甲斐あって、実業団ではキャプテンに就任し、日本代表に選出され、世界選手権で準優勝することができました。幼い頃に掲げた夢を実現させることができたのです。

でも、引退後に「何の仕事をやりたいか」を問われた時、人生で初めて、自分のやりたいことを答えることができませんでした。私は「日本代表に選ばれて活躍したい」というビジョンが全てで、引退後のことを全く考えていなかったのです。ビジョンを失っていたことに気付いた瞬間でした。

ビジョンを失ってからは、ソフトボールしかしてこなかった私に働く環境を用意してくれた会社(前職)に恩返しをしなければいけない、そんな使命感だけで仕事をしていました。そしてチーフ職の試験を受けた際に、「あなたはこれからこの会社でどうなっていきたいの?」と聞かれ、何もビジョンがないことに気が付いたのです。とても魅力的な会社でしたが、社内で私自身がやりたいことを見つけられませんでした。
本当にこのままでいいのだろうかと悩み、この先自分はどうなりたいかを真剣に考えました。
何ヶ月も考えた結果、「経営者になりたい」と思うようになりました。私自身がビジョンを失い苦しんだ経験を踏まえて、アスリートが引退後も何かに挑戦しようと思える環境をつくりたいと思ったからです。

でも、前職の会社は大手特有の与えられた仕事を行う安定思考の環境。「本当は経営者になりたいんです」とはとても言えませんでした。
そんな私に高校時代の友人が引き合わせてくれたのが石井社長でした。引退後初めて、誰かに自分のビジョンを話しました。すると、代表は「やる気があるなら環境はいくらでもつくる。あとは自分がどれだけ頑張れるかだけ。」と言ってくれました。

衝撃的でした。まず私のビジョンが否定されなかったこと、環境をつくるとはどういうこと?やりたいことができるの?本当に?と、現役以来初めてわくわくした気持ちになれました。そこから代表の価値観を聞き、ビジネス界でもアスリート同様、本気になれる場所があるんだと感動し、転職を決意しました。前職の会社には、退職を反対され続けましたが、私の意思は決まっていました。それくらい、もっと成長するために環境を変えたいという思いが自分にはあったのだと気付くことができました。

入社後のキャリアサマリー

1年目
新規事業室に配属
自身の将来のビジョンから逆算をした結果、「まずは企業様の中期経営計画の実現の支援をお手伝いする職種が良い」という理由で、配属していただく。
2年目
新規事業室 室長
代表直轄部署にて部下7名のリーダーを任せていただき、チャンスをいただく。
考え方、判断力、スピード、チームのまとめ方、部下との向き合い方、全てが勉強になった1年。
3年目(現在)
新卒リクルーティングDXグループに配属
現在は、新卒リクルーティングDXグループのプロデューサーとして、全国の企業様の新卒採用支援を行う。

ATSUMARU STORY

入社してからの経験
入社一番の失敗経験は、
一番の成長体験だった
私には、アスリートのセカンドキャリアを支援する会社を起業したいというビジョンがありました。そんなビジョンを持つ私に、代表があつまるの新事業としてアスリートのセカンドキャリアに関わるプロジェクトを用意してくれ、私をその責任者にしてくれたのです。
試行錯誤を重ね力を尽くしましたが、結果としてそのプロジェクトは、長くは続きませんでした。

「セカンドキャリア支援をビジネスにするのは、難しいかもしれない」

やりたいと思っていたけれど、結果、形にはできなくて、全てが白紙になりました。
自分の中で明確にあったビジョンが急に無くなった感覚でした。
今はまだビジョン達成への
発展途上
でも、それこそが私にとっては良い機会でした。

ビジョンは白紙に戻ってしまいましたが、ある意味今とても充実しています。
自分のやりたいことをやらせてもらって、自分の考えの甘さ、そもそもそれが誰かのためになるビジネスなのか、将来一生かけてやるべきことなのか、私は一体何がやりたいのか、自分の強みは何か、など、ビジョンを現実的に考え直すきっかけとなりました。
今では視野も広がり、新たな興味も増えています。
もしセカンドキャリア支援のビジネスで上手く行っている人の話を聞いたらまた火がつくかもしれませんが、その時はその時です。

いずれにせよ、いつか私が成功することで、ビジョンを考え直すきっかけをくれた会社と代表へこの感謝をお返ししたいと考えています。

VISION

常にビジョンを
追い続ける
経営者になる

ビジョン実現のために必要なものは“才能”ではありません。
私にはソフトボールの才能はありませんでした。
だからこそ、私には実業団入団後も、日本代表に初選出されるまで9年間、
世界選手権に出場するまで10年間という時間が必要だったのです。
何年間も練習にすら参加させてもらえなかったり、
「ビジョンが大きすぎる」「又吉には無理だ」と否定的な意見をいただいたりすることもありました。
それでも、私は諦めませんでした。
たとえ能力がなくても、諦めなければビジョンはいつか絶対に叶います。
私自身がアスリートのセカンドキャリアの成功事例となり、一からビジョン実現に挑戦する姿を見てもらうことで、
世の中には挑戦できる事がたくさんあり、どんな人でも可能性があるということを体現したい。
そして、私が代表にしていただいたように、ビジョンを実現するための環境を整えて、
やってみたら?と言える経営者になりたいと考えています。

  • 2024

    新規事業室室長

  • 2027

    株式会社日本代表を設立(起業)
    ・アスリートのセカンドキャリア支援事業
    ・BAR経営

  • 2032

    日経WOMEN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2032」に選ばれる

  • 2033

    全国の小、中、高校をまわって夢を持ってもらうための講演会を開く
    (日本代表選手・石井社長に講演を依頼する)

  • 2035

    ビジョン達成に挑戦する人に投資して環境を提供する

  • 2042

    世界中を旅してまわる:子供を海外留学へ行かせる

  • 2050

    ハワイに住む

メッセージ

あつまるは、私のように経営者になりたい人にとっての第一歩となる環境です。

例えば、希望すれば幹部会に参加することができる「オブザーバー制度」というものがあります。
幹部会に入ることで、会社の経営的な意思決定の場に参加することができ、
代表がどのような考え方でどのような判断をするのか目の前で見れることは魅力的だと、最近強く感じています。
代表と近いこと、聞きたいことを聞けること、経営者としての判断基準が養われること。
そんな環境はなかなかありません。

大きな夢やビジョンを持っている方は、ぜひ一歩踏み出してみてください。